宮城まり子さん
今月の、日経の、私の履歴書は、宮城まり子さんだった。
ありのまま、力みのない叙述でよかった。
ちなみに、文体は、敬体(ですます体)でかかれていた。ほとんどは常体なので、かえってしんせんだ。私の履歴書で最近で一番はげしかったのは、作曲家のえんどうみのるさんだなあ。淀川ちょうじさんは、月末まできても、彼の人生の3分の1までしか描かれず、特例で2カ月にわたるのかとおもったら、そこで終わって、翌月から別の筆者になった。たしか、チャップリンにあってどうのこうの、のあたりで終わった。かきたいことが一杯あったんだろうな。サラリーマン社長の私の履歴書はよみたくない。
ぢつは、ととろは、宮城さんと、電話で5秒ほど話したことがある。
94年ころ、ととろは、あるボランティア団体のアクティブで、目の不自由な人のために、市販の活字の本を、目の不自由な人がアクセスしやすいように、原本を電子データ化したいのだが、許可をいただきたい、という許諾を求める係をやっていた。
のべ、ざっと、250件くらい、版元に対してお願いを郵便で送った。この作業をしてもよいかだめか、よいなら、トラブルを避けるために、有印で確認書を送り返してもらっていた。
結果的には、非営利ならよい、という許諾を8割くらい、版元又は著作権者からいただけたのであるが、この中で、宮城さんただひとりだけは、直電で、「かまわないから」という連絡をいただきました。(こちらを疑っていて、確認のために直電してみた、という要素もあったと思う)
あー、この版元への許諾作業は、この団体では、いまもやっているはずです。
つうか、わたしは、こういうことをやる場合は、著作権者に筋を通すのは礼儀だろう、と考えているからです。
著作権法の第5款の部分ですが、私的使用(膨大すぎる)と試験問題(漏洩する)以外は、ととろは、全部著作者に複製行為を通報すべきだ、なんなら、文芸版ジャスラックを作ればよかろう?! と今でも考えています。
ちなみに、なんかで見たんですが、アメリカで、ボランティア団体が、目の不自由な人のためにこういったサポートをする場合は、許諾を求めなくてはならないにもかかわらず、許諾を求めないで作業するのが通例なんだそうです。許諾を求めてそれを著作権者が断った場合、著作権者は世間からすさまじいバッシングをくらうそうで、そのために、実態的には、著作権が制限されているのと同じらしいです。
渡辺淳一さんの、あいるけや失楽園(あと、化身もかも)が連載されたのも、この日経の文化面。いまは、どうしようもないお話がつづいている。もう終わってくれ、今の小説……。
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